裸のパンジー ヌーディスト村に行った話

裸になるってどんな気持ち? ファッションを仕事にする20代エディターが、服なんて着ない!という村に行ってみた話。

ヌーディスト村日記④裸のおしゃれ

裸のままではない裸

 ヴィラージュ・ナチュリストに来て意外だったことのベストワン。「みんな意外と服着てるじゃん!」。そこには来たばっかりでこれから脱ぐのという人ももちろんいるのだけど、「すっぽんぽん+α」の人が予想以上に多かった。
 まず、ビーチ以外の場所(ショップとかレストランとか道端とか)では、半分以上の女性がパレオ的な腰巻をしている。例えば、オレンジ色のダイダイ染めのスカーフを巻いて、腰の横で結ぶ女性。ただ、股は見えている。それから、透け感のあるストールをウエストにくるっと巻いている人。ただ、股は透けている。

 別に、絶対に股を見せたくないわけではないらしい。カフェで仲良くなった50代ナチュリストカップルの女性・ミリアムも、ビーチへ歩いている時はパレオを巻き、一度寝そべる準備が揃うと、はらりと結び目を解いて全てを晒すのだった。なんで見せてもいいと思っているのに巻くのだろう、と考えていたのだけど、これに関しては私自身の感覚があながち間違っていない気がした。私も、ビーチ以外ではついつい持って来たストールをくるりんと腰に巻きつけたくなって、それはなぜかというと、まず①なんとなく局部を保護したい気持ち、②カバンなどを持っていて腰やお尻が擦れるのが嫌、③カフェやレストランで座る時に直接だと悪いなという感覚。そこに私の場合は、④毛問題で恥ずかしい、というのが多少くっつく。浜辺なら「全身きれいに日焼けする」という言い訳が立つ気がするが、それ以外の場所ではなんか恥ずかしいという気持ちが出てしまった。 

 

 と、今書いていて気づいたのだけど、これらって、人類が衣服を着始めた理由としてよく挙げられる説と通じる。①と②は身体の保護。③は衛生のため。④は身体のコンプレックスをカバーしたり(※)、社会的に見せることを許されないものを隠すため、ということだろうか、極端に敷衍すれば。

 人が服を着ている理由でもう一つ常に取り上げられるのが、装飾性だろう。装飾は、社会的地位や身分を示すためだったり、儀礼のためだったりする。ヴィラージュ・ナチュリストは服の持つ特にこの側面を意識的に切り捨てている場所なのではと思っていたけれど、おしゃれ心はここでもなお健在だ。それもまた「すっぽんぽん+α」を誘っている。
 たとえば、素っ裸で売店のパレオを物色している女性。わざわざ買うのか。買うなら色柄を選びたいのか。そして、+αが一切ない両親と一緒にいた、ブルーの水着を着た少女。勝手な想像だけど、彼女は裸に抵抗があるのではなくて、単にかわいい水着を着たかったのかもしれない。

 ある夜ミリアムと出かけている時に、出会い系サイトがキャンペーンをしていて、ミリアムがノベルティグッズをゲットしていた。それは、そのサイトのロゴが入ったパレオだった。やはりパレオは、ナチュリストたちの第一の+αなのだろう。

 

 「脱いでない」服じゃなくて、「わざわざ着ている」服を着ている人もたくさんいた。初日に、白いメッシュのミニワンピースの下から胸もあそこも見えてる女性とすれ違って、ひやっと驚いた。実はそういう類のエロ服を売っている店はいくつかあって、オーガンジー風の透け感のある軽やかな記事のチュニックなど、裸感を消さずに着られる女性向けの服が豊富なのだ。夜用と思われるフェティッシュファッションも男女用共に結構ある。

 あと、ビーチで度々見かけたのが、ベリーダンスの飾りのような、でも腰から下部分が無い、チェーンとプレートが組み合わさったアクセサリーだ。腰骨に銀色の光を引っ掛けて、股のすぐ上に小さなプレート飾りが揺れている女性と、何度かすれ違った。

f:id:tomokomarugame:20180806033900p:plain

 

男性のプライドを飾る

 そして、一番衝撃だったアイテムの話をしようと思う。絵にするのがどうしてもはばかられたので言葉だけで想像して欲しいのだけど、男性が、ペニスの根元に輪っかを嵌めているのだ。
 最初に行ったビーチで、私は右側に寝そべる男性を観察していた。カーキ色の帽子以外は一糸まとわず、微笑すら浮かべながら太陽に体を晒す彼。ふと彼のあそこを見てみたら、根っこの部分にシルバーのブレスレットのようなものが付いていた。なんだ、これは・・・? 彼に話しかけて聞きたかった。でも、誘っているように思われるのも嫌だ。なにせ相手は男一人で来ているのだ。「連れが同じものを欲しいと言っているのだけど」と適当にでっち上げて聞いてみようか? いやいや・・・など悶々としているうちに、彼は浜辺から退散してしまった。
 あぁしまったな、と思っていたのもつかの間、私はそれから何度も同様の“アクセサリー”を目にした。カーキ帽子の彼はシンプルなシルバーリングだったが、スタッズがついたものや革ベルトのようなものをつけている人もいる。ペニスの揺れを抑えるためのもの?と実際的な理由を考えてもみた。ブラジャー的な意義だ。ただ、このリングをつけている男性はみんなどこか通じるものがあった。ちょっと、ドヤ感がある人たちなのだ。自信がありそうというか、先の尖った革靴を履いていそうというか・・・。
 ミリアムの彼氏・リシャールにこの話題を投げかけた時、疑問が一気に氷解した。
 私たちは一緒にビーチに向かって歩いていて、ヴィラージュ・ナチュリストについてのあれこれを話していた。「ねぇ、ずっと気になっているモノがあるんだけど・・・」と私は切り出し、リシャールの優しい目に向かって思い切って聞いた。
「あぁ(笑)、あれって飾りだよね」と言ったのはミリアムで、私が「やっぱりそうなんだ! 揺れを抑えるという実用性もあるのかなとも考えたけど」と答えたら、リシャールが苦笑しながら口を開いた。
 「いや、あれは、実用のためだよ。でも、動かないようにするというよりはむしろ逆で、つまり・・・、常に“立って”いるように見せるためのアイテムなのさ」
 ミリアムと私は同時にえー!と叫んで、爆笑した。あぁ、なんかわかるかも! それに、つけている人たちのキャラクターとも見事に繋がるではないか。

 それから、そのリングを嵌めた男性の例の箇所を見ていたら、やはり確かに、完全に垂れないようになっている。やや持ち上がった体勢だ。ビーチで光っていた謎の輪っかは、まさに、男のプライドと権威を示す装飾であったのだった。

 

 他にも男性器へのおしゃれはあって、先端にピアスやチャームがついているのもたまに見かけた。ピアスで言えば、女性器につけている人もいる。正面から歩いて来ているのを見てわかるくらいだから、上の方の位置ではあるのだろうけど、同性ながらたじろいた。ガルシア・マルケスの小説で、父親によって性器に南京錠をかけられた女の子(その子とセックスを果たすには父親に鍵をもらわなければいけない)がいたのを思い出した・・・。

 

 タトゥも裸のおしゃれと言える。裸になることを想定して入れているかは人それぞれだろうけど、「裸」という「何も表象を身につけていない」と想定される状態で、常に自己表現をしているという点で、タトゥは随一だろう。身体はそこではキャンバスとなり、表象を持つように加工される。タトゥに関しては、着脱できない特徴という意味で、体型や体色といった「裸」が発する情報とも一緒に考えられそうだ。

 

f:id:tomokomarugame:20180806033936p:plain
↑裸にウエストポーチのおじさん、結構いた。リュックを背負うよりは痛くなさそうだし楽だし便利だよね!と思いつつ、この異様な牧歌感につい笑ってしまう・・・。


※ファッションはコンプレックス産業とも言われるけれど、R.B.ヨハンセンという人の『着想の歴史』の序章の文章に、私はポンっと膝を打った。

「全世紀にわたって服装の問題を考察してみて、最も我々の関心をひくのは、洋装師の細部にわたる技巧ではなく、むしろファッションが、カモフラージュとして、神が自らの姿に似せてつくりたもうた男および女の真の姿を隠すための、昔からの手段として徐々に認識されてきていることである。〜中略〜服装は、男と女が、どんなふうに見られたいかを示すだけではない。数多くの疑問に解答するだけでなく、疑問を出した人々を批判をもする。・・・」